オーストラリア卒業旅行1989(1)
大学院を修士で修了した89年、卒業旅行として初めての海外一人旅でオーストラリアに行きました。
今回から何回かに分けてその時の話を書こうと思います。
ずいぶんと前から(高校生の頃から)6mで良く交信している局を訪ねてオーストラリアに行きたいと思っていたのですが、学生の身でありバイトは沢山していましたが、バイクと車の両方に乗っていたり、山に行ったり、酒飲んだりで、海外旅行に行くというのは結局できずに大学院修士2年の春となってしまいました。
実は、当局が訪れた’89年の前、’87年春にはJF2MBF 市野さんが、また’88年の春にはJF6DEA 木下さんと2人の6mマンがVK4(クィーンズランド)北部のTownsvilleを訪問されていました。
VK4北部は、サンスポットが上昇してくると春・秋のシーズン中EveningタイプのTEPで毎日のように強力なオープンがJAとの間にあり、さしずめローカル局のような感覚で日々QSOが行われいたことが、こういった2か国間の6mマン同士の親密な関係があった理由と思います。
そこで何とか3人目を目指して、自分の卒業旅行を計画しました。期間は、最後のチャンスである修士卒業研究発表会が終わってから、卒業式(学位授与式)までの3週間と決めました。
ちなみに大学の卒業旅行での海外旅行は、その頃バブル期であったこともあり結構一般化していました。
<Townsville沖合のMagnetic Is.のビーチで、、>
当時できて間もないHISの大学キャンパス近くの小さい店舗で、伊丹発着でCairnsイン、MelbourneアウトのQantasu航空のチケットを購入しました。Cairns往復チケットの倍近い20万円近くだったと記憶しています。
それ以外は、初めての海外旅行だったのでパスポートを作って、学生ゆえに当時クレジットカードも持ってなかったのでトラベラーズチェックを買ったり、慌てて準備をしました。ちなみに宿は一切予約なし、行き当たりばったりの計画でした。
<オーストラリア東海岸の地図、訪問した都市>
CairnsからTownsville、Brisbane、Gold Coastを経て、Sydney、Melbourneを3週間かけて移動しました。
実際、事前に決めたのは、Cairnsで3日ほど過ごしたらTownsvilleへ移動して1週間程、Joeさん宅に滞在するということだけでした。
一応事前にエアメールで、JoeさんにはCairnsから何日頃Townsvilleに移動するから泊めてねと連絡はして、電話番号は聞いていました。Hi。
VK4とJAは時差1時間で夜のフライトだと、フライト中に普段通り睡眠を取って朝起きると着陸という時差ボケもなく非常に快適な移動でした。
Cairnsに朝着き、まず宿探し。街の案内所で取り合えず安い宿B&Bでドミトリータイプの宿、たしか当時A$10/泊ぐらい(当時、結構円高の日本円で800円ぐらい)の宿に3泊することになりました。
部屋はほとんど寝るだけの男女別部屋で2段ベットが並んでいる部屋でした。トイレとシャワー、キッチンは別室です。
Cairnsでは、歩いて市内観光、一日体験ダイビングコースを体験、Green Isへのツアーで3日間を過ごしました。
この安宿での思い出として、昼間2段ベッドの上でガイドブックなどを読んでどこへ行く?などと考えていた時、カップルで来ていたスウェーデン人の女子がトップレスで入って来て(男子部屋です)「Hi~!」と挨拶したあと、下の方のベッドの恋人と思われる男子といちゃつき始めたことがありました。
2段ベット上の隣のベッドにいたアメリカ人学生と顔を見合わせ、「もうスウェーデン人ってやつは、、、」と呆れ顔、仕方がないので外出したというような経験をしました。
ということで、序章を終わり、
次回、本編のTownsvilleでの話へ続く、、、。
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