VK4JH Joe SK
6mでサイクル19以前からずっとアクティブだったVK4JH, Joeさんが亡くなられました。昔からの6mマンの方々は、私同様52MHzや50MHzのCW, SSB, AMで何度も交信された方が多いでしょう。
12月始め頃、何気なくネットでコールを検索してVKから投稿された記事を見つけました。
http://www.vklogger.com/forum/viewtopic.php?f=75&t=11959
前サイクルのコンディションが下がってきた頃から、シグナルを聞かなくなり、もういい歳なので、どうしておられるのかと気にはなっていました。
このニュースを知った時、本当に呆然としてしまいました。
私とJoeさんとの1stQSOは、私がまだ14歳の中学2年生であった1978年春でした。その頃VKは52MHz帯に出ていましたが、春秋のシーズンには毎晩のように強力な信号で入感していました。
その当時から、CWとSSBで何度も何度も交信しました。Joeさんは稚拙な私の英語にゆっくり付き合ってくれて、中学・高校・大学と、短いときは挨拶だけ、長いときは1時間程も話したこともありました。
イブニングタイプのTEPでコンディションの良くなる20:00ぐらいに、52.030MHzのCWでCQを出していると、、Hi Masa de VK4JHとよく呼ばれました。暫くCWでフルスペルでチャットしていると手が疲れてきたり、もどかしくなってSSBに変わったりしていました。
話題は、今朝はハワイや南米が入ったとか6mのコンディションの話しが多かったですが、たまには家族の話や学校の話もしました。何を言っても興奮気味に「ハ、ハ、ハ!」と明るく笑って返してくれて、いつも楽しい交信でした。完全理系な私が英語が得意になったのは、ほとんどJoeさんのお陰でした。
大学院を卒業する89年3月には、卒業旅行でオーストラリアを一人旅しましたが、そのメインの目的がJoeさんを訪ねることでした。
ケアンズから鉄道でタウンズビルの駅に着き、迎えに来てくれたJoeさんの年季の入ったtoyotaのワゴン車で家に連れて行ってもらいました。100回以上は交信し手紙も何度か交換していましたが、会ったのはそのとき初めてでした。よく来たよく来たと、まるで子供のように良くしてくれました。結局1週間滞在させて貰って、その間ローカル局を訪問したり、ANT工事を見たり、家ではGuestOPでVK4JHを52MHzで運用させもらいJAと沢山交信しました。もちろん、Joeさんとも沢山話しをしました。本当にお世話になったのです。
その後、就職して、結婚して、何度も交信はしましたが、徐々に私のアクティビティも下がり、最後に彼の信号を聞いたのは2001年ごろ東京から/1で出ていた時だったと思います。
また来てくれと言われていたので、いつの日かまた訪ねたいと思っていましたが、それも叶いませんでした。
明るい人で、私のようにチャットされていたJAの方は沢山おられたと記憶しています。
ご冥福をお祈りいたします。
73 Joe!
de JF3KQA Masa
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