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ここで紹介した京都コンピュータ学院のオープンキャンパスの広告、また新しくなってました。
京都コンピュータ学院のオープンキャンパスのポスター、2月分か?
瀬田工の生徒がターゲットだろうか?
#JR瀬田駅 #ポスター #京都コンピュータ学院
Townsville以降の旅行行程ですが、Brisbane、Gold Coast (Surfers Paradise)、Sydney、Melbourneとそれぞれ長距離(夜行)バスで移動して観光しました。鉄道にも乗りたかったのですが、オーストラリアでも鉄道はどうしても割高になってしまいます。
Townsvilleの6mマンたちの話では、VK3OTさんを訪ねたらどう?という話が出ていたのですが、スケジュールの関係もありTownsville以外では、結局、アマチュア局を訪問することはありませんでした。
以下、簡単に訪問した各都市での思い出を書いておきます。
Brisbane
Queensland北部のCairns、TownsvilleのTVアンテナは垂直系だったのでそんなに思わなかったのですが、Brisbaneに来てみるとVHFローバンドのTVアンテナが水平系、正しく6mの5エレとか4エレが各戸に建っていました。私は凄い、6mの街!と思ったものです。
TVQ0の音声周波数は51.75MHz、ビデオ信号はその下だったので、必要なTV受信用アンテナは6mのアンテナなんですね、、、当たり前と言えば当たり前です。
Brisbaneは、この訪問した年(1989年)の1年前に万国博覧会(Expo’88)が行われていました。それに向けて市街地が整備されモノレールもありましたし、街全体がきれいな印象でした。
ここで宿泊したのは、またドミトリー形式の安宿(ユースホステル的なところ)でした。市内観光で植物園とか、市街地内の遊園地とか行って見ました。Lone Pine Parkでコアラを抱きにも行きました。
歩いて観光するには街が大き過ぎ、大都市を感じました。
Gold Coast(Surfers Paradise)
Gold Coastでは、バスで知り合った日本人学生3人と一戸建てのバンガローをシェアしました。
ケータリングで食べ物をいろいろ頼んだり、肉~っ!て叫びながらスーパーで買ってきた大きなステーキを焼いて食べました。
あとは、ビールとワイン飲んでましたね。2泊3日ぐらいだったかと思いますが、共同生活も楽しかったです。たしか、早稲田大と玉川大の学生だったと思います。
Gold Coastのマクドナルドの噴水前でハンバーガー食べてたら、明らかに私より若いスキンヘッドの痩せた男の子がすり寄って来て、たばこの火をくれというので点けてやったのですが、スキンヘッドにピアス、からだにはチェーン巻き付けたファッションでした。
しばらくするとより近くに座って来て、喋って来たのでどこから来たとか幾つだとか話をしていたのですが、18歳とのこと。さらに話していると腕を絡ませようとするので、ヤバいやつやんと思い、ほんじゃまぁ73と言って離れました。Hi。
Sydney
さらに夜行バスで移動した後のSydneyでは、一応ホテルっぽいところに泊まりました。
Gold Coastでルームシェアした早稲田のやつが行くと言うので、南半球最大の繁華街であるKingscrossにも繰り出しました。このエリアは、ニューヨークのタイムズスクエアに似た賑やかな場所で、多くのクラブやレストラン、バーなどがあります。
植物園や動物園、美術館とかに行ったような記憶があります。特に、植物園(Royal Botanic Garden)は美しく、自然を愛する人にはたまらない場所でした。
あと夕暮れ時にはハーバークルーズにも参加しました。Sydney Harbourは世界的に有名な景勝地であり、美しいオペラハウスやHarbour Bridgeを見ることができました。
その待ち時間に美大生が似顔絵書かせてくれと言ってきて、いや僕も学生だし金ないからと断っていたんですが、2ドルでもいいというので書いて貰ったのがこちら、、、。似てるのか似てないのか、微妙です。
<Sydney Harbourで書いて貰った似顔絵、Mar. 19, 1989の日付が見える>
Melbourne
またまた夜行バスで移動して着いたのは、最後の滞在地Melbourneです。
たしかスケジュールが押してきて2泊だったような気がします。普通のビジネスホテルに宿泊しました。
トラベラーズチェック余ってたので、ドミトリーとかじゃなくて個室のホテル、でもメルボルン繁華街だったので結構高い割にはあまりいい部屋ではなかったです。
ここからは1日Phillip Islandへの一日ツアーに参加して、サーキットを見学して、ペンギンパレードを見ました。
それ以外は、英国風の落ち着いた街並みの散歩を楽しみ、植物園とか博物館に行ったような気がします。
ということで、長いようで短かったオーストラリア滞在を終えて、夜の便で、Mel → Syd → 伊丹の便で帰国となりました。
ドタバタも含めて約3週間のオーストラリア一人旅、初めての海外旅行でしたが、こうやって30年以上経っても鮮やかに思い出せる有意義な旅行でした。
アマチュア無線家として海外旅行して、別に珍しいところでなくてもその地からオンエアしたいという気持ちはありますよね。
実は、VK4JH Joeさん宅に滞在していた間に1晩だけGuest OPとして、6m(52MHz)でVK4JHを運用させて貰いました。
旅行前の準備が十分ではないこともあり、VKの免許を貰って運用というのは諦めてました。VKは当時からGuest OP制度があり、運用してもいいよということだったので、1989年3月12日の夕食後、イブニングタイプTEPでJAが強力にオープンしている時間帯に52MHz SSBでQRVしました。
時間は、ローカルタイム(JAより1時間早いUTC+10h)の21時から0時までの3時間、JSTでは20時から23時になります。
確かにJAで聞いていてもVK4北部のオープニングは毎夜20時から23時頃の時間なのでした。
帰国後、半年から1年後に下記のQSLも発行しました。
ちなみにJARL経由で一方的に送りました(当時は今と違って、送れば転送してくれてました、Hi)。
*返事として、私宛にQSLカードを送ってくれた局も何局かありました。
<VK4JH operated by JF3KQAで発行したQSL>
Queenslandの規格カードです。
<QSL データ面>
RigはICOM IC-575A+Linear AMP、ANTは6ele yagiでした。
印字は、当時使っていたワープロ専用機の熱転写プリンター印字です!
さて、オペレートしていたのはJSTの20時~23時ですが、VK4から見ると、この時間帯、全体的には東から西にコンディションの中心は変化していきます。
JAから見ても、この時間帯はVKの東から西にコンディション移っていきますよね。それと同じです。
磁気赤道付近のTEP(赤道横断伝搬)の52MHzまで反射する臨界周波数が高い電離層の領域が地球の自転と共に移動している様子とも言えます。
以下は、その時のログです。
じっくり眺めて頂くと、なんとなくコンディションの推移が判るかも??
あなたのコールサインはありますか?
Time(UTC) Call Freq. Mode His RS My RS Memo
11:04 JP1LRT 52 SSB 57 53
11:08 JI1ETU 52 SSB 59 55
11:13 JH0RNN 52 SSB 59 57
11:24 JH0PVF 52 SSB 59 59
11:26 JJ3FKZ 52 SSB 59 55
11:27 JG2CAU 52 SSB 59 55
11:28 JH5TEE 52 SSB 55 59
11:29 JE2DWZ 52 SSB 59 59
11:29 JG3DOC 52 SSB 59 57
11:30 JR7SIF 52 SSB 59 55
11:32 JA7OUD 52 SSB 59 59
11:32 JE6NVJ 52 SSB 57 55
11:33 JL1IRB 52 SSB 59 57
11:33 JR1PBY 52 SSB 59 57
11:34 JA1RFF 52 SSB 55 55
11:35 JE3PCP 52 SSB 59 57
11:35 JN1BPM 52 SSB 59 56
11:36 JF2WKB 52 SSB 53 55
11:37 JH3KDZ 52 SSB 55 55
11:37 JH4XDK 52 SSB 59 55
11:38 JG7TVN 52 SSB 59 55
11:39 JF3UZB 52 SSB 53 53
11:39 JP3IAL 52 SSB 53 53
11:40 JL1BXV 52 SSB 56 43
11:41 JH4KAY 52 SSB 59 59
11:42 JO1HQQ 52 SSB 59 57
11:43 JS1JIO 52 SSB 59 57
11:43 JR1DOS 52 SSB 55 53
11:43 JK1GBW 52 SSB 53 57
11:44 JA7UU 52 SSB 57 57
11:44 JS1KHR 52 SSB 59 59
11:45 JS1WFQ 52 SSB 53 55
11:45 JL1MSO 52 SSB 59 59
11:45 JH6CYW/3 52 SSB 59 59
11:46 JA8RC 52 SSB 57 55
11:47 JG3GNU 52 SSB 59 59
11:52 JH1ECU 52 SSB 59+ 59+
11:53 JR0UHH 52 SSB 59+ 59
11:53 JE1HLR 52 SSB 59 59
11:54 JE1VMG 52 SSB 59 59
11:55 JE2RDD 52 SSB 59 59
11:56 JH1WHS 52 SSB 59 59
12:11 JG6QFC 52 SSB 59 55
12:12 JE3TJS 52 SSB 59 59
12:21 JO3KER 52 SSB 59 55
12:24 JF2EGV 52 SSB 59 59
12:24 JI2UDK 52 SSB 59 59
12:25 JI3ACL 52 SSB 59 59
12:25 JM1NPF 52 SSB 59 59
12:26 JQ1OOI 52 SSB 59 59
12:27 JO1BSM 52 SSB 59+ 59+
12:28 JE6OKI 52 SSB 59+ 59+
12:28 JG1GZN 52 SSB 59+ 59+
12:29 JF3LGC 52 SSB 59 59
12:30 JK1PNK 52 SSB 55 59
12:32 JP1KVE 52 SSB 59 55
12:32 JF1CTI 52 SSB 59 59
12:33 JE2SHM 52 SSB 59 59
12:34 JP1LRT/QRP 52 SSB 59 55 FT690MkII+5/8GPx2 0.5W
12:35 JI2LBW 52 SSB 57 53
12:36 JQ1KYY 52 SSB 55 55
12:37 JO1TOQ 52 SSB 59 59
12:38 JL3LKO 52 SSB 58 59
12:38 JQ1TYS 52 SSB 53 57
12:39 JQ1OCR 52 SSB 59 59
12:39 JA2UDU 52 SSB 59 59
12:40 JP1OWE 52 SSB 59 59
12:40 JS1RYJ 52 SSB 55 55
12:41 JI1GPZ/1 52 SSB 59 59 /1 Chigasaki-c
12:42 JJ1ONP 52 SSB 59 59
12:43 JF1SLY 52 SSB 55 42
12:44 JO1OZD 52 SSB 51 53
12:45 JP1BHH 52 SSB 52 52
12:46 JF1TLA 52 SSB 57 59
12:47 JS1AMB 52 SSB 59 59
12:48 JA3EA 52 SSB 59 59
12:50 JH6BPG 52 SSB 59 57 QRP 520mW + 20mh9el
12:50 JF3MYU/3 52 SSB 59 59 /3 Itami-c
12:52 JI1BLV 52 SSB 57 55
12:52 JJ1CRE 52 SSB 59 59
12:53 JQ1AHZ 52 SSB 59 59
12:55 JM3JAS 52 SSB 59 59
12:56 JR0UUU 52 SSB 59 59
12:56 JH3IRX 52 SSB 59 59
12:57 JO1GNR 52 SSB 59 59
12:58 JF1OST 52 SSB 59 59
12:59 JP1QDX/1 52 SSB 59 59 /1 Yokohama-c
13:00 JP1VOC 52 SSB 59 59
13:01 JL3QAG 52 SSB 59 59
13:01 JE1VOW 52 SSB 59 59
13:03 JN1WTK 52 SSB 59 59
13:04 JA5CMO 52 SSB 59+ 59
13:06 JA2HUC 52 SSB 59 59
13:07 JH2DKH 52 SSB 59 59
13:07 JE3LCT 52 SSB 59 59
13:08 JA3FWT 52 SSB 59+ 59+
13:10 JE1GRY 52 SSB 59 59
13:11 JM3BCH 52 SSB 59 59
13:12 JG1VVU 52 SSB 59 59
13:12 JH5FIS 52 SSB 59 59
13:12 JN1JUT 52 SSB 59 59
13:13 JE3KDP 52 SSB 55 52
13:14 JH3PAS 52 SSB 55 59+
13:15 JG1WWG 52 SSB 59+ 59+
13:16 JR6HI 52 SSB 59 59
13:17 JL3KTK 52 SSB 59 59
13:17 JM3MOX 52 SSB 59 55
13:19 JR3HED 52 SSB 59+ 59
13:21 JF1EJH 52 SSB 59 59
13:22 JL1UMW 52 SSB 59 59
13:23 JH1RGA 52 SSB 59 59
13:24 JM1HYH 52 SSB 59 53
13:24 JI2SIC 52 SSB 59 59
13:25 JK1TNN 52 SSB 59 59
13:26 JP3SQL 52 SSB 59 53
13:27 JA5GYU 52 SSB 59 59
13:28 JR6WPT 52 SSB 59 59
13:29 JG3RGG 52 SSB 59 59
13:32 JS1INP 52 SSB 59 59
13:33 JP1HKL 52 SSB 53 53
13:34 JH8BLJ 52 SSB 53 53
13:35 JI1NGK 52 SSB 59 55
13:36 JH7HNM 52 SSB 59 55
13:37 JH0INP 52 SSB 59 59
13:38 JA4LDY 52 SSB 59 59
13:39 VS6UP 52 SSB 55 55 Alex, Hong Kong
13:40 JH1HMP 52 SSB 59 59 Nob
13:42 JA0BNX 52 SSB 59 59
13:43 JA0FIL 52 SSB 59 59
13:45 JA2DDN 52 SSB 59 59
13:56 VK4FXZ 52 SSB 59 59 Arnie
14:06 JF3LFL 52 SSB 59 59
3時間のQRVで、132QSOsでした。
当時52MHzにQRVできた局で当日ワッチされていた方は、ほとんど全部呼んで頂き、順番に交信できたのでは?と思います。
1局目のJP1LRTさんは、途中で誰も呼んでないからとFT-690MK2(0.5W)+GPから再度呼んで頂きました。
他にもQRP局とも何局か交信しています。
残念ながら9エリア(JA9)とは交信できずAJDはできませんでした。
東から西へコンディションの中心が移っていき最後の方で、Hong KongのVS6UPからコールされました。
この52MHzのVS6には、VK4FXZのArnieは凄く驚いていました。
50MHzでは聞いていても当時52MHzには出てきてくれてなかったようです。
ほぼ34年前のこととなりますが、コール頂いた各局、交信ありがとうございました。
このVK4JHの他に、VK4FXZ宅に訪問した際、KH6(ハワイ)がオープンしており、同じくGuest OPで、KH6IAA Alさんに声掛けして交信することができました。
アマチュア無線界のオリンピックWRTC(World Radiosport Team Championship )2022 Italia が本年7月イタリアのボローニャで行われます。
コロナの影響で1年延期されましたが、その御蔭で昨年に続いて本年も1月にWRTC 2023 Awardが行われました。
世界中のWRTC記念局とHFの各バンドSSB/CWで交信してポイントを競うというイベントでした。
1月中数少ないQRVの機会、また貧弱な設備でしたが、このWRTC記念局との交信をできるだけやってみました。
結果はこちら、、、
<ALL BAND CW でのAward、残念ながら100pointsに達せず正式Awardは貰えず>
当局の設備は、50WにLong Wire + ATU もしくはWire DPです。
QRVできたのは期間中で3日間だけ、昼間の時間帯だけでしたので、ALL Band SSB&CWで合計7局はよくできた方かと思います。
1月は太陽活動が活発で、High Bandsのコンディションが良かったので、15mでLPのEUと数局できました。
15m CWでできた局のQSLもちょっと貼っておきます。
<8B0RARI, Indonesia>
<SP0WRTC, Poland>
<OM22WRTC, Slovak Republic>
<N5W, Texas USA>
これ以外は、N7W(Oregon USA)、TM3WRTC(SSB、France)、8N1WRTC(Japan)でした。
こういった1ヶ月間にわたる世界的イベントあまりないのですが、上位陣のコンテスト的争いもあったようで、結構楽しめました。
WRTC2022のPRにもなったいい企画だったと思います。
前回の続きです。
CairnsからTownsvilleへの移動は、たぶんバスが最も一般的なのではないかと思ったのですが、鉄分多めの私としては外国で一度ぐらい鉄道に乗りたくて、鉄道を選択しました。
朝から駅へ移動して、チケットを購入して9時ごろの列車に乗りました。たぶん6時間ぐらい掛かってTownsvilleに到着したかと思います。CairnsーTownsville間はオーストラリアの地図で見るとすぐ近くにも見えるのですが、大陸自体が大きいので結構な距離350kmぐらい離れていました。新幹線はないので6時間ぐらい掛かってしまうものなんですね。
多分午後3時ごろTownsvilleの駅に着き、迎えに来てくれたVK4JH Joeさんと初めて顔を合わせました。
以前のこの記事でも書いていますが、、、、その頃までのJoeさんとの繋がりを書いておきます。
私とJoeさんとの1stQSOは、私がまだ14歳の中学2年生であった1978年春でした。
その頃VKは52MHz帯に出ていましたが、春秋のシーズンには毎晩のように強力な信号で入感していました。
その当時から、CWとSSBで何度も何度も交信しました。Joeさんは稚拙な私の英語にゆっくり付き合ってくれて、中学・高校・大学と、短いときは挨拶だけ、長いときは1時間程も話したこともありました。
イブニングタイプのTEPでコンディションの良くなる20:00ぐらいに、52.030MHzのCWでCQを出していると、、「Hi Masa de VK4JH」とよく呼ばれました。暫くCWでフルスペルでチャットしていると手が疲れてきたり、もどかしくなってSSBに変わったりもしていました。
話題は、今朝はハワイや南米が入ったとか6mのコンディションの話しが多かったですが、たまには家族の話や学校の話もしました。
例えば、うちの親父が西部劇映画が好きで特にジョンウェインのファンだと言ったら、Joeもジョンウェインが大好きだと言われたことがありました、今でもよく憶えています。何を言っても興奮気味に「ハ、ハ、ハ!」と明るく笑って返してくれて、いつも楽しい交信でした。
完全理系な私が英語が得意になったのは、ほとんどJoeさんのお陰でした。
ちなみにこの写真は、まだ中学3年か高校1年の頃にこちらからリグとアンテナ、自分の写真を送ったらQSLと共に送ってくれたJoeさんの写真です。
<1979年ごろ文通で送られてきたJoeさんの写真>
たしか、当時CQジュニア(CQ出版社が当時出していた少し年少者向けの雑誌の中で、JI1VLVが書いていた”ナナコのログから”でもたしか同じような写真が紹介されてました。VLVさんも当時、よくJoeさんとCWチャットしていたので写真を交換されたのかと思います。ちなみにそのチャットもよくワッチしてました、、、Hi。
鉄道でタウンズビル駅に着き、迎えに来てくれたJoeさんの年季の入ったTOYOTAのワゴン車で家に連れて行ってもらいました。
それまでに100回以上は交信し手紙も何度か交換していましたが、会ったのはそのとき初めてでした。
よく来たよく来たと、まるで子供のように良くしてくれました。実はJoeさんの家に着くと通された部屋に新しいベッドがあり、聞くと私が来ると言うので準備してくれたようで、「いつまでもいてもいいし、いつでも来てくれていいよ!」というようなことを言われて感動しました。まるでアルプスの少女ハイジやなぁと思ったものです。
夕食を御馳走になり、ひと心地着いた頃に、私も何度か交信したことのあるTownsvilleローカルの2局が訪問して来てくれました。
<Joeの家に訪問してくれたVK4FXZ(→VK7GUN)Arnie(中央)と
VK4FXX(→VK4FP)Lloyd(右)と共に>
ArnieとLloydのShackには、日を改めて訪問させて貰いました。
また、2人とはCastle Hillの6mビーコンであるVK4RTLも見学にも行きました。
また郊外にあり現在も6mアクティブ局でもあるVK4FNQ Johnの家にも連れて行って貰い、会うことができました。
さらに週末には、HFのアクティブ局(コールサインが思い出せません)で広大な敷地に数本のタワーが立っている局の40m3エレフルサイズ八木の建設にも参加しました。その日に追加で建てた30m以上の自立タワー(放送局の払い下げ品とか、、)の上まで上ると、周囲が一望できる素晴らしいロケーションでした。
<訪問した時のVK4JH Joeさん、朝食の時、Good Morning!>
結局1週間滞在させて貰って、その間、Joeさんとも沢山話しをしました。
本当にお世話になったのです。
あと、滞在中にTownsville沖にあるMagnetic Is. (IOTA: OC-171 Queensland State (North Coast) South group)にも行きました。もちろん無線はしてないですけどね。その時の写真が前回のビーチでの写真です。
Joeさんには、「是非、また来てくれ」と言われていたので、いつの日かまた訪ねたいと思っていましたが、残念ながらそれは叶いませんでした。Joeさんは、2013年12月にSKとなられました。RIP。
大学院を修士で修了した89年、卒業旅行として初めての海外一人旅でオーストラリアに行きました。
今回から何回かに分けてその時の話を書こうと思います。
ずいぶんと前から(高校生の頃から)いつか6mで良く交信している局を訪ねてオーストラリアに行きたいと思っていたのですが、学生の身でありバイトは沢山していましたが、バイクと車の両方に乗っていたり、山に行ったり、酒飲んだりで、海外旅行に行くというのは結局できずに大学院修士2年の春となってしまいました。
実は、当局が訪れた’89年の前、’87年春にはJF2MBF 市野さん、また’88年の春にはJF6DEA 木下さんの2人の6mマンがVK4(クィーンズランド)北部のTownsvilleを訪問されていました。
VK4北部はサンスポットが上昇してくると、春・秋のシーズン中、EveningタイプのTEPで毎日のように強力なオープンがJAとの間にあり、さしずめローカル局のような感覚で日々QSOが行われてました。このことが、こういった2か国間の6mマン同士の親密な関係があった理由と思います。
そこで何とかTownsville訪問の3人目を目指して、自分の卒業旅行を計画しました。期間は、最後のチャンスである修士卒業研究発表会が終わってから、卒業式(学位授与式)までの3週間と決めました。
ちなみに大学卒業旅行での海外旅行は、その頃バブル期であったこともあり結構一般化していました。
<Townsville沖合のMagnetic Is.のビーチで、、>
当時できて間もない大学キャンパス近くの小さいHIS店舗で、伊丹発着のCairnsイン、MelbourneアウトのQantas航空のチケットを購入しました。Cairns往復チケットの倍近い20万円近くだったと記憶しています。結構高かったです。
それ以外の準備は、初めての海外旅行だったのでパスポートを作って、学生ゆえに当時クレジットカードも持ってなかったのでトラベラーズチェックを買ったり、慌てて準備しました。ちなみに宿は一切予約なし、行き当たりばったりの計画でした。
<オーストラリア東海岸の地図、訪問した都市>
CairnsからTownsville、Brisbane、Gold Coastを経て、Sydney、Melbourneを3週間かけて移動しました。
実際、事前に決めたのは、Cairnsで3日ほど過ごしたらTownsvilleへ移動して1週間程、Joeさん宅に滞在するということだけでした。
一応事前にエアメールで、Joeさんには「Cairnsから何日頃Townsvilleに移動するから、泊めてね。」と連絡はして、電話番号は聞いていました。Hi。
VK4とJAは時差1時間で夜のフライトだと、フライト中に普段通り睡眠を取って朝起きると着陸という時差ボケもなく非常に快適な移動でした。
Cairnsに朝着き、まず宿探し。街の案内所で取り合えず安い宿B&Bでドミトリータイプの宿、たしか当時A$10/泊ぐらい(当時、結構円高の日本円で800円ぐらい)の宿に3泊することになりました。
部屋はほとんど寝るだけの男女別部屋で2段ベットが並んでいる部屋でした。トイレとシャワー、キッチンは別室です。
Cairnsでは、歩いて市内観光、一日体験ダイビングコースを体験、Green Is.へのツアーで3日間を過ごしました。
この安宿での思い出として、昼間2段ベッドの上でガイドブックなどを読んでどこへ行く?などと考えていた時、カップルで来ていたスウェーデン人の女子がトップレスで入って来て(男子部屋です)「Hi~!」と挨拶したあと、下の方のベッドの恋人と思われる男子といちゃつき始めたことがありました。
2段ベット上、隣のベッドにいたアメリカ人学生と顔を見合わせ、「もうスウェーデン人ってやつは、、、」と呆れ顔、仕方がないので外出したというような経験をしました。
ということで、序章を終わり、
次回、本編のTownsvilleでの話へ続く、、、。
ブルーガイド編集部: 関西 気軽にハイキング (ブルーガイド山旅ブックス)
「気軽にハイキング」のタイトルに騙されてはいけません。高さはなくても同シリーズの「関西日帰りの山ベスト100」と同じく、歩き甲斐のあるコースばかりが紹介されています。お勧めです。 (★★★★★)
岡弘 俊己: 関西 日帰りの山ベスト100 (ブルーガイド山旅ブックス)
関西の山歩き、ワンディハイクガイドの決定版。
ブルーガイドの前からあった本と中身はほとんど変化なしですが、新刊として出てきました。
私の歩いたコースも、この中で紹介されているものが多いです。記述も必要十分で重宝しますよ。 (★★★★★)
戒能俊邦 監修: 情報・通信用光有機材料の最新技術
おすすめという訳でもありませんが、ちょびっと執筆しました。 (★★★★)
桜井/英樹∥監修: 有機ケイ素材料科学の進歩
おすすめと言う訳ではないですが、5年前にちょびっとだけ執筆してます。06年12月に普及版として再出版されました。
酒井聡樹 著: これから論文を書く若者のために
大改訂増補版でました。
論文を書くすべての人にお薦めします。この本の元になった著者のウェブサイト「若手研究者のお経」でやる気を出しました。 (★★★★★)
大谷 文章: 光触媒標準研究法
今話題の光触媒に関する研究方法が主題ですが、光触媒と関係ない人にとっても、自然科学の研究とはこうやってやるのか、、と読ませる本です。脚注があまりに多くて面白すぎ。個人的には、涙なくしては読めない、懐かしい描写ばかり。理由はそのうち。 (★★★★)
坪田 一男: 理系のための研究生活ガイド
眼科医の著者が研究生活に絶対必要な指針を示されています。医学のみならず全ての研究分野に当てはまります。研究者としてのポジティブな生き方のガイドです。 (★★★★)
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