文化・芸術

2023年3月13日 (月)

『三国志 諸葛孔明』久松文雄

諸葛孔明について名前ぐらいしか知らなかったが、先日某”Coten-Radio”のバックナンバーを聞いていたら、凄い人と初めの頃に紹介されていたため、興味が湧き、まずはマンガで読んでみた。
コミックス5冊分の合本、サクサク読めて歴史の流れを理解できました。
概要:世界の歴史巨編をマンガで学べる!シリーズで、楽しんで歴史を知ろう!「三国志 諸葛孔明」!
中国の歴史巨編といえば三国志!登場人物の中でも特に人気の高い諸葛孔明の人生すべて。

中国が後漢時代末期、政治の腐敗などの反発で、黄巾の乱と呼ばれる反乱が各地で多発する。この反乱をおさめるために立ち上がった武将たちが、後の三国志と呼ばれる戦乱の時代の足がかりとなったのだ。そんな時代の中で諸葛孔明は生まれる。

小さな頃から戦乱の世を見て、自分の使命はこの乱れを収めて中国を統一する将軍のもとに仕えることだと考えていた。心の中でいつも気になっていた武将、それが劉備だった。
諸葛孔明は著名な学者である司馬徽が開く水鏡塾に通うことを決意し、学問や論語などを学ぶのだが、その能力の高さに皆驚くばかりだった。

曹操のもとに身を寄せた劉備であったが、離れることを画策していたところ思わぬ好機が巡ってくる。
一方、諸葛孔明は仁徳と信義に欠けた曹操のもとにいる劉備に対して不信感をおぼえていたが、活躍の知らせを耳にする中で心の中に劉備に対する興味が再び湧いてくるのだった。

劉備は聡明な才覚を持つ諸葛孔明の噂を耳にする。そして三国志の中でも特に有名な場面と言われる「三顧の礼」により、諸葛孔明は劉備のもとで仕えることを決意するのだった。
軍師となった諸葛孔明は次々と策略を成功させ、周囲を驚かせていく。そしていよいよ曹操に対して戦いの準備を整えていく。

孫権と曹操を戦わせるために、諸葛孔明は呉を訪れて孫権と周瑜と話をすることとなった。戦う意志のなかった孫権と周瑜だが、諸葛孔明の描いた絵の通りに、まるで駒を動かすが如く進んでいくことに…。
そして三国志の中でも特に今でも語り継がれる歴史的な「赤壁の戦い」へとすべてがつながっていく。

天下三分の計を実現するためには益州を手に入れなければならないと、劉備たちが仕掛けていくがそのすべてに諸葛孔明の戦略が張り巡らされていた。それは戦いの場、交渉の場を問わず、甚大な力を発揮したが、曹操や孫権といった強国も劉備たちを徐々に追い詰めていく。

2023年3月 9日 (木)

嵯峨釈迦堂でちょこっと梅見

日曜日、嵯峨釈迦堂(清凉寺)でちょこっと梅見しました。

 

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<仁王門>

釈迦堂と言えば仁王門、この日は朝からよく晴れていました。

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<本堂と愛宕山>

仁王門を入ると、正面に本堂が愛宕山と共に見えています。

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<多宝塔と紅梅>

左手には多宝塔があります。その前には紅梅と白梅。

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<白梅>

下の方が開花してますね。

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<多宝塔と白梅>

 

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2023年2月15日 (水)

オープンキャンパスのポスター(瀬田駅)その2

ここで紹介した京都コンピュータ学院のオープンキャンパスの広告、また新しくなってました。

京都コンピュータ学院のオープンキャンパスのポスター、2月分か?

Ocp_2302

瀬田工の生徒がターゲットだろうか?
#JR瀬田駅 #ポスター #京都コンピュータ学院

2022年12月25日 (日)

嵯峨小学校 創立150周年 その2

8月のこちらの記事で、出身の京都市立嵯峨小学校が今年創立150周年になるハズという話を書きました。

http://yappari-musen-plus.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-8e4420.html

 

あれから3ヶ月以上が過ぎ、地元で聞いたところによると、11月18日に創立150周年の記念式典が行われたとのことでした。

嵯峨小学校のホームページにも、関連の内容がやっと記載されておりました。

 

https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=110402&type=2&optiondate=202211&category_id=2044

こちらに、式典の様子と当日に子供たちに配布された記念品のことが書かれています。

 

その中に写真のあるファイルホルダーは、こちらのものです。

こちらについては、学区内の各家庭にも配布されていたようです。

 

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<本館玄関のドローン写真と校歌が書かれています>

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<裏面は敷地の航空写真と式の様子、2022年の文字>

 

8月の記事でも書きましたが、私が在学中に行われた創立100周年記念の記念品もファイルバインダーでした。

ホームページにあったのとほぼ同じ紅白饅頭も貰った覚えがあります。

 

100周年と150周年でやってることほぼ同じですね。

校歌にあるように、後輩たちである嵯峨のよいこには、すこやかに伸びて行ってほしいです。

 

2022年10月16日 (日)

橘色悪魔(オレンジの悪魔)


台湾民衆を魅了した「オレンジの悪魔」


橘色悪魔(オレンジの悪魔)らしいのが、小説・アニメの「響けユーフォニアム」にも出てきて有名ですが、圧倒される凄さです。
橘高校のマーチングバンド。最後まで見たらわかるけど、ただならぬ体力と驚かされます、、、。

 

こちらの方が、映像的にはいいとこ取りでお薦めです。

 

 

以下は、産経新聞記事からの抜粋。

台北の総統府前広場で10日に行われた「双十節」(建国記念日に相当)を祝う式典で、日本からやってきた「オレンジの悪魔」と呼ばれる京都橘高校吹奏楽部の生徒らが注目された。

蔡英文総統の演説後に登場し、迫力ある演奏と華麗なダンスを披露すると、観客は総立ちとなり、大きな拍手が湧き起こった。同校吹奏楽部は、マーチングバンドの全国大会で金賞を受賞したことがある強豪で、ライバル校を圧倒する技術の高さとオレンジ色の衣装から「オレンジの悪魔」と評された。

今回は、蔡氏自らが会長を務める中華文化総会の招きで訪台。一行93人は5日に台北入りし、総統府見学、ミニコンサート、地元高校生との交流イベントなど、過密なスケジュールをこなした。連日のように台湾メディアに大きく取り上げられ、台湾で「オレンジ旋風」を引き起こした。

 

2022年9月19日 (月)

カブトムシの不思議な思い出(再掲)、大覚寺勅封心経殿

以下の記事はブログを始めた年、2005年の記事なのですが、最近Googleでブログ内検索しても出てこないことを知りました。

過去記事の検索は、本人ぐらいしか使っていないと思いますが、調べてみると、しばらく前からGoogle検索では10年以上前の記事は検索で表示されないように変わっているようです。

ちょっと面白い話なので、取り合えずここに再掲しておきます。建物の写真へのリンクもなくなっていたので、別のところにあった写真を貼って置きます。

では、どうぞ、、、、。

 

カブト虫に関して、今思い出しても不思議な思い出がある。

小学校4年か5年の夏のこと、近所の子供たちの広大な遊び場でもある時代劇の撮影で有名な大覚寺での出来事だ。

その当時、僕ら近所の悪ガキは、境内の拝観料を出さなければ入れないところにも、壁を乗り越えたり、川を渡ったりしてよく侵入していた。坊さんに見つかると当然怒られるが、見つかってダッシュで逃げるのもおもしろかった。

 

その7月のある日も、グランド(名古曽グラウンドと呼ばれていた)で野球をした後か何かで、境内に入って遊んでいた。

八角形の形の宝物を入れてある建物(たぶんこの勅封心経殿と思われる)の床下は、風通しが良いようにコンクリート土台から約1mほどの高さの薄暗い空間があった。

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その日、そこで僕らは発見した。

10匹以上のカブト虫のサナギがオス・メス取り混ぜて、コンクリートの上に転がっていたのだ。

白っぽい黄土色で、下腹の部分が動いているものもいたし、

丁度羽化して出てきたばかりの白い背中を見せているカブト虫までいた。

 

薄暗い床下にサナギが転がっている様子は、言葉にできないほど不思議な情景であった。

だからこそ30年程経った今でも、このことを良く憶えている。

 

その建物の周りは、確かに何本か木が生えており、その中には樫の木や栗の木などがあったが、クヌギの木があったかどうかはわからない。

地面は苔むしたようなところが多くて、あまりカブト虫がいるようなところには見えなかった。

 

僕らは、雰囲気に圧倒され、全部採って行こうとはどうして思われず、一人一匹ずつ大きそうなオスのサナギを持って帰った。

 

その年は、その後何度かそこへ取りに行ったが、行くとまた何匹かのサナギが無防備に転がっていた。

次の年に期待して行ったが、もうそのようなことはなかった。

その後は、中学生になってしまい虫取りに興味がなくなり、また境内に侵入することもしなくなった。

 

あのカブト虫のサナギはどこから来たのか?

クヌギの木の根本や腐葉土の中に自分の身体に合わせた大きさの穴を作って、そこでサナギになるのが普通だと思うのだが、、、。

薄暗ければ、コンクリート上に出てきてサナギになるのだろうか?

 

近くの土の中にたくさん幼虫がいて、その場所が都合が良いのでサナギになっていたのか?

それとも、お坊さんの一人がカブト虫を養殖していたのか?

近くの子供に僕らがからかわれていたのか?

 

今思い出しても、大きな謎である。

2022年8月19日 (金)

嵯峨小学校 創立150周年

こんにちは。今回はいつもとちょっと違う話題です。

 

私の出身小学校は、京都市立嵯峨小学校 なのですが、たぶん今年2022年は創立150周年になるはずです。

というのも、私が在学中の1972年に創立100周年を迎えており、そのことを憶えていたからです(ちなみにその時3年生でした、歳がわかりますね)。

もちろん、京都市内の古い小学校は、ほぼ同じころに開校しているので、今年150周年となる小学校は他にもいくつかあるはずです。

 

在校時には明らかに戦前からあるような古い木造校舎もあったのですが、今は鉄筋コンクリートの建物ばかりだと思います。

でも当時と変わらない正門と当時の面影が保存された職員室のある建物があります。

 

写真は、過去にブログにアップしたことがあったような気がしますが、今回は10年ほど前?に入手した水彩画スケッチの絵葉書をご紹介します。

 

Sagasho2

<正門>これは、在学当時と変わりませんね。

 

Sagasho1

<正門正面の建物(本館)>

入り口は在校当時の木造の時と同じ?玄関はどこかの寺から持ってきたような入口になってます。

 

Sagasho3

<桜満開の正門>

入学式の頃、いつも満開でしたが、最近は卒業式の頃満開が多いかもしれませんね。

温暖化の影響なんでしょうか?

 

Sagasho4

<校舎の間の中庭にある池と校舎>

 多分西向けで小倉山あたりが背景に見えている。

 2年生の頃の校舎があった辺りで、給食室の跡ぐらいに池が作られている。

 

というように中々風情のある歴史を感じさせ小学校です。

 

創立150周年なんだから、学校のホームページになにか行事の予定とか、来歴紹介のページができているのではないかとググってサイトを見てみました。

https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=110402

しかし、見たところ10年ぐらい前のホームページぽいデザインで、ブログ形式で各学年の月毎の学校行事トピックスが掲載されているだけでして、創立150周年の記述は見つかりませんでした。

年間行事予定のリンクをクリックすると、4月の予定のみアップされており、5月以降は予定は何も入ってません。

小学校の教員というのも大変なんでしょうね。ホームページまで手がまわってないというのが透けて見えるようです。

 

創立記念日は8月のはずなのですが、100周年の時は秋に式典があったハズなので、150周年もそのころになったら、行事が掲載されるのではないかと思います。

 

ところで、実家には小学校3年生当時に創立100周年記念で貰った紙バインダーファイルがあり、

今も高校生の時に新聞部で発行した学校新聞がファイルされていたりします。

Souritsu100years_file

<創立百周年記念の紙バインダ―ファイル>

 

プラスチックのバインダーファイルだと、10年以上すると劣化が目立ち、20年ぐらいで粉々になったりしているのですが、紙のバインダーファイルだと、ちょっとカビってるぐらいで50年経っても使えるところが凄いです。

 

今回紹介した水彩画スケッチは、嵯峨小学校の絵葉書(4枚組)のものです。

作者らしい方のブログ記事によると2006年に作られた絵葉書だったようです。

https://plaza.rakuten.co.jp/gayukobo/diary/200604190000/

 

最近、といっても2016年のようですが、嵯峨小学校の写真は以下のページにありました。

https://saganotsuki.blog.fc2.com/blog-entry-624.html

月の真珠さんのブログ「京日記 花がたみ」のページです。

 

そう、俳優の田村3兄弟の出身校ですね。二宮金次郎像も懐かしい。

2022年5月 3日 (火)

昼休みの散歩で見つけたクワガタたち2021

時々、本ブログにも投稿していましたが、平日昼休みの散歩で昨夏撮影したクワガタたちをまとめました。

 

2021

例年、5月末ぐらいから9月末ぐらいまで、ひのきが丘公園の幾つかの木で見つけることができます。

 

今年は、ミヤマクワガタの♂とか、大きいヒラタクワガタとか、カブトムシ♂とか出会いたいところです。

 

以下は、最近撮影したひのきが丘公園の花々です。

 

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<アリアケスミレ>

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<シロツメクサ>

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<カタバミ>

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<ヒメジョオン>

 

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<蓮>

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同じ場所でも、週毎に開花する花が変化していく感じで、いろいろな花が次々に咲いて楽しいです。

 

 

2022年2月21日 (月)

トンガ王国の海底火山噴火と津波

南太平洋のトンガ王国で、1月15日夕方、首都ヌクアロファの北約65kmで海底火山が噴火した。爆音は遠く離れたアメリカまで届いたといい、この影響で高さ1メートルを超える津波が発生し、少なくとも3人が死亡した(1/20の報道)。

詳細は以下のBBC Newsのサイトから日本語の記事へのリンクです。

https://www.bbc.com/japanese/60063832

 

このニュースをネットで見た時、少なからず衝撃を受けました。

 

というのも、トンガは1991年8月にJARL京都クラブのメンバーとしてDX Vacationに行ったところだからです。

以来、親近感があり、トンガ出身の相撲取りやラグビー選手などいつも応援しています。

 

T2(ツバル)程ではないにしろ、A3(トンガ)も南太平洋の島国、人々が住んでいるヌクアロファの街は、そんなに海抜がある訳ではありません。たぶん街の大部分が海水に浸かったのではないかと思われます。

 

そう言えば、海岸線のすぐ近くに当時は「Kimiko's Restrant」とかいう日本料理を出すレストランが営業していて、昼食を食べに行った記憶もあります(ネットで調べたところ、現在は中国人経営の中華料理レストランとのこと)。

またヨットハーバーでは、偶然同時期にトンガに来ていたアメリカ人カップルと80mで交信して、ヨットを訪ねてお茶を御馳走になったりしました。

5日間ほど宿泊したセーラおばさんのゲストハウスはどうなったのでしょう?女子高校生だった娘さん(Mariaさん)は無事でしょうか?

*ネットで調べたところ、Sela’s Guest House セーラズ・ゲストハウスは2017年ぐらいまでは営業していたようですが、今はやってない様子でした。下記のリンク(Tripadvisorのページ)に昔のレビューがあり、懐かしい写真がありました。

https://en.tripadvisor.com.hk/Hotel_Review-g294142-d1885429-Reviews-Sela_s_Guest_House-Nuku_alofa_Tongatapu_Island.html

 

津波は太平洋を越えて日本にもやって来て、一部被害もあったようですが、トンガの火山灰や津波の被害とは較べられないでしょう。

 

後からのNewsでは人的被害はそれほどでもなかったようで、少し安心したりしています。

 

Tonga_map_handkachief

Tongatapu島の地図のハンカチ

 

Tonga_photobook

Tongaで買った写真集

 

Tonga_another_qsl

もう1枚の”A35MK”QSLカード

*このカードは1000枚刷った個人コールQSLが足りなかった人むけの複数コールQSLです。

 ちなみに、左から2人目がまだ20代の私です。 HI.

 

トンガの皆様の無事と早期復興をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月23日 (土)

伊豆箱根鉄道に乗り修善寺散策

もう随分と前の話になりますが、東京2020オリンピック開催中の日曜日、仕事で前日の三島泊になったので、前から乗りたかった伊豆箱根鉄道に乗って修善寺に行きました。

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三島から修善寺までは、12の駅があります。

 

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途中、真ん中あたりの「原木(ばらき)駅」、茨木駅じゃないよ。

 

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田舎っぽい景色の中、車内から撮影したSOTA対象ぽい山々。

 

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切符、料金は¥520でした。おう、8/1だったか、、、。

 

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修善寺駅に着きました。迎えてくれたのは鉄道むすめ「修善寺まきの」ちゃん。

 

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昔の写真と最近の写真、こんな角度の富士山見たことはありません。近くの展望のいい山に上れば見られるようです。

だるま山高原からの富士山で、上の写真は戦前のニューヨーク万博に展示された写真とのことです。

全景に駿河湾、左に南アルプス、右に箱根連山の富士山です。

 

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ターミナル駅なので、突き当りで2つの車両が停車しています。

 

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もの凄く暑かったんですが、もう一つ距離感がなく、修善寺駅から歩いて修善寺まで行くことにした。赤い欄干の橋を渡りました。

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これがその橋、「修善寺橋」。

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ゆるい上りで駅から50分ぐらい歩いて、思い切り汗が出たころで温泉街に到着。

 

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修善寺山門

 

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前には赤い欄干で川が流れています。どうも「桂川」というらしい。

そして前に見える橋は「渡月橋」。都恋し、、、でしょうか?いつ頃にこの名前が付けられたのか、京都嵯峨出身の私は非常に気になります。

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山門の仁王様

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修善寺本堂、そんなに大きくないけど立派で威厳がありますね。

 

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こちらは、日枝神社(ひえじんじゃ)の鳥居。

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夫婦杉の大木と日枝神社境内、日陰がほっとします。

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渡月橋を渡って、対岸へ移動。

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木陰が嬉しい、十三士の墓へ向かう道。

 

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「十三士の墓」

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お隣の「源頼家の墓」

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「指月殿」、かなり古い木造建築。

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「指月殿のお釈迦様」金色に輝いています。

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「竹林の小径」どっかにもあったような、、、こちらは最近でしょうね、たぶん。

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「楓橋」

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ここも桂川でしょうか?細いですけど。

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河原湯(足湯)です。暑い中でしたが、しばし休息させて頂きました。

昔は共同浴場だったようです。

 

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「とっこの湯」弘法大師の伝説がある伊豆最古の温泉とのことです。

お湯は湧いていますが、入浴はできないようです。

 

こんな感じで修善寺は、いなかの落ち着いた温泉街という感じでした。

 

見て歩いたガイドマップが、こちらにありました。

https://www.shuzenji-kankou.com/map/2019-map-Japanese-1.pdf

興味のある方は御参照ください。

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暑い中、歩き回って疲れたので、返りはバスで修善寺駅まで帰りました。

 

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この電車で三島駅へ戻ります。

出張前日午後の短い時間でしたが、伊豆箱根鉄道の乗り鉄と修善寺散策を楽しめました。

 

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